意外かもしれませんが、ベトナムは建国千年を越える歴史ある国。
そのほとんどの期間において中国やモンゴル、フランスなどから侵略・支配されていたり戦乱をくり返したりでした。
苦難を乗り越えた今、やっと平和な時代が訪れたわけです。
この記事では、紀元前1万年前〜現代までを年表で紹介します。
もくじ
先史時代〜ベトナム国家形成と中国(漢)からの支配
- 紀元前1万年頃:ホアビン文化(打製石器)がベトナム北部から東南アジア各地に広がる
- 紀元前2880(伝説)年:ヴァンラン(文郎)国樹立。フン・ヴォン(雄王)による支配(~紀元前258年まで)
- 紀元前2000年頃:水稲耕作が東南アジア各地に広がる(紅河流域のフングェン文化、ハロン湾域のハロン文化)
- 紀元前1100年頃:青銅器文化が東南アジア各地に広まる(ベトナムでは紅河下流域、南部のドンナイ川流域)
- 紀元前4世紀:ドンソン(鉄器)文化
- 紀元前207年:チョウ・タ(趙陀)が中国広州に南越(ナムヴィエト)王国を建国。現在のベトナム北部までを支配
- 紀元前111年:南越王国は前漢武帝により征服され、以後およそ1000年間、ベトナム北部は中国の支配下におかれる
- 紀元後40~43年: ハイ・バー・チュンの乱。ハノイ北西豪族の娘チュン・チャック(徴側)チュン・ニ(徴弐)姉妹を指導者とする反乱
- 紀元後761~767 年:阿倍仲麻呂が安南都護府(現在のハノイ)に赴任
- 紀元後939年:ゴ・クエン(呉権)によって、約1000年ぶりに中国の支配から脱出するが、安定せず
李朝(1010年~1225年)
- 1010年:リ・タイ・トー(李太祖)、都をタン・ロン(昇龍)=現在のハノイにおく。ベトナム最初の長期王朝
- 1054年:リ・タイン・トン(李聖宗:3代目)が国号をダイ・ヴィェト(大越)と定める
- 1075年:李朝と中国(宋朝)が国境の帰属問題から戦う。将軍リートゥオンキエット(李常傑)が中国軍を撃退、勝利
陳朝(1225年~1400年)
- 1225年:李朝の女帝昭皇が退位し、チャン・タイ・トン(陳太宗)に譲位。陳朝が成立
- 1253年:チャン・タイ・トン(陳太宗)が国子監(国内最古の大学)を文廟内に建立。儒学者を集め、四書五経を講じさせる
- 1251年:フビライの軍隊、紅河に侵攻(モンゴルによる東南アジアへの最初の侵攻)
- 1287年:ハノイは一時陥落、その後チャン・フンダオ(陳興道)、ベトナムへ侵攻したモンゴル軍を白藤江(バクダンザン)河口で撃退、大勝利
黎朝(1428年~1527年)と南北分裂
- 1428年:中国(明)軍を撃退したレ・ロイ(黎利)が即位、レ・タイ・ト(黎太祖)となる。首都をタンロン(昇竜)からトンキン(東京)に改称、国号をダイ・ヴィェト(大越)とする
- 1460年:レ・タイン・トン(黎聖宗)=黎朝第5代国王(在位:1460~1497)が即位。ベトナムの中興の祖レ・タイン・トン、南のチャンパ王国と西のラオスへ進攻し、領土拡大。ベトナムの本格的南進が始まる
- 1471年:チャンパ王国の首都ヴィジャヤを征服、以後ベトナム人の「南進」が続く。レ・タイン・トンの死後、黎朝は弱体化
- 16世紀:ベトナムは南北に分裂状態となる。北部は鄭(チン)氏、南部は阮(グエン)氏の支配阮(グエン)氏の政権により南進続く
- 17世紀:フランス人宣教師によりベトナム語のローマ字化。クォック・グー(国語)の成立→ 現在に至る
- 1773年:西山(タイソン)党の乱 中南部ビンディン省の西山(タイソン)村から阮氏三兄弟らが反乱を起こす
西山朝(1778年~1802年)
- 1778〜1802年:西山党の乱の領袖であった阮恵(グエン・フエ)は、鄭氏の支配地/北部と阮氏の支配地/南部を統合、西山朝を築くが政権弱体、国内混乱
阮朝(1802年~1945年)
- 1802年:グェン・フック・アイン(阮福映)が、ベトナム最後の王朝である「阮(グエン)朝」建国。中部のフエに都をおき、ベトナムの南北を初めて統一
- 1804年:清から「越南」(ベトナム)国王に封じられる。清朝により「越南」の称号を与えられる
- 1831年:第2代ミンマン(明命)はタンロン(昇竜)の名を呼ぶことを禁止し、ハノイ(河内)と呼ぶことを命じる(ハノイは地方都市へ格下げ
- 1858年:仏越戦争(~1862)フランス人宣教師迫害を口実にナポレオン3世がスペインと共同でベトナムに出兵。サイゴン(ホーチミン市)を占領
- 1862年:第一次サイゴン条約。コーチシナ(ベトナム南部)東部3省とサイゴンをフランスに割譲
- 1863年:フランスがカンボジアを保護国化。コーチシナ(ベトナム南部)支配を強化するため
- 1867年:フランスがコーチシナ(ベトナム南部)西部占領。フランスによるコーチシナ全域の支配完了
- 1873年:10月20日、フランシス・ガルニエ率いるフランス海軍がハノイを攻撃、占領
- 1874年:第二次サイゴン条約。フランスが紅河の運航権を獲得
- 1875年:ハノイにフランスの租借地を開設される
- 1882年:フランスがハノイ城を占拠。総督ホアン・リュ(黄耀)が戦死
- 1883年:第1次フエ条約北部のトンキン、中部のアンナンを保護領とする
- 1884年:第2次フエ条約。ベトナム全土がフランスの植民地となる
- 1884年:清仏戦争(~1885)清はフランスによるベトナム保護国化に反対し、清のベトナムに対する宗主権を主張し、開戦
- 1885年:清はフランスに敗北、天津条約締結。清はベトナムのフランス植民地化を認める
- 1887年:フランス領インドシナ連邦成立。フランスは阮朝をフエに存続させながら、ハノイにインドシナ総督府を置く
- 1894年:ハノイ城塞取り壊し
- 1907年:ハノイ総督府竣工
- 1924年:ハノイ市整備拡張計画
- 1930年2月3日:ホー・チ・ミン氏が香港でベトナム共産党結成
- 同年10月 インドシナ共産党と改称(1945年解散)
- 1940年9月26日:日本軍、北部仏印進駐(ハイフォンに進駐)
- 1941年5月19日:ベトナム独立同盟(ベトミン)結成、7月28日 日本軍が南部仏印進駐(ニャチャンなどに進駐)
- 1945年3月9日:日本軍が仏領インドシナのフランス軍を武装解除(明号作戦)
- 同年3月11日 バオダイ帝、「ヴェトナム」の独立宣言
現代ベトナム
- 1945年8月16日:ベトミン、総蜂起を司令
- 同年8月19日:ベトミンがハノイの行政機関占拠(ベトナム8月革命)
- 同年8月24日:バオダイ帝退位
- 同年8月28日:べトナム民主共和国臨時政府、樹立
- 同年9月2日:ホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」独立宣言
- 1946年:インドシナ戦争(~1954) 旧宗主国フランスはベトナムの独立を認めず、ベトナムと戦う
- 1949年3月8日:フランス・ベトナム協定コーチシナ(南部ベトナム)がフランスの傀儡国家=ベトナム国に編入される→ 南北ベトナムの固定化
- 1951年2月11日:ベトナム労働党結成(1976年12月14日 ベトナム共産党と改称)
- 1954年5月7日:ディエン・ビエン・フーの戦いでフランスの敗北
- 1954年7月21日:ジュネーブ協定、北緯17度線で南北に分断される
- 1955年10月26日:ゴ・ディン・ジェムはバオダイを退位させる(ベトナム国の解散)アメリカが後ろ盾となり、ゴ・ディン・ジェムが初代大統領になる(ベトナム共和国の建国)
- 1956年:ジュネーブ協定では1956年7月の全国投票による国土の統一をうたっているが、ベトナム共和国はジュネーブ協定に調印しておらず、南北協議を拒否
- 1959年1月13日:ベトナム労働党第2期第15回中央委員会は南ベトナムの武力解放と解放民族戦線の結成を決議。南部への補給路ホーチミン・ルートの建設始まる
- 1960年12月20日:南ベトナム解放民族戦線、結成
- 1961年4月29日:アメリカがジュネーブ協定を無視して軍事顧問などを増派
- 1963年11月1日:仏教徒弾圧などで不人気のゴ・ディン・ジェム政権はアメリカ・ケネディ政権にも見放され、クーデターで倒される。ゴ・ディン・ジェム大統領と弟ゴ・ディン・ヌーはともに殺され、クーデターが続き弱体化
- 1964年8月2日・4日:トンキン湾事件が起き、アメリカ軍はベトナムへの直接介入の口実とする
- 1965年2月7日:米軍による北爆(北ベトナムへの爆撃)開始
- 1965年3月2日:米軍による北爆(北ベトナムへの爆撃)の恒常化
- 1968年3月16日:ベトナム中部ソンミ村で米軍が住民504名を無差別虐殺(ソンミの虐殺)
- 1969年9月2日:ホー・チ・ミン氏、死去
- 1973年1月27日:パリ和平協定、正式名「ベトナムにおける戦争を終結させ、平和を回復するための協定」
- 1973年3月29日:ベトナムからの米軍撤退完了
- 1975年4月14日:ベトナム共和国大統領ティエウは海外亡命・・・南政権自壊
- 1975年4月30日:北ベトナム正規軍、サイゴン突入。北による吸収合併
- 1976年7月2日:ベトナム社会主義共和国 樹立、翌年9月20日、国連加盟
- 1978年12月23日:ベトナム軍、カンボジア侵攻(1989年9月26日 カンボジアから完全撤退)
- 1979年1月7日:ベトナム軍によってカンボジアのプノンペン陥落
- 1979年2月17日:中国軍がベトナム北部国境全域に侵攻。(3月18日 中国軍完全撤退)中越戦争
- 1986年12月15日:ベトナム共産党第6回大会(~18日)でドイモイ(刷新)政策発動
- 1992年4月20日:ベトナムが新憲法公布(1992年憲法)。一党独裁、市場経済、改革路線を続行
- 1995年7月28日:ベトナムがASEANに加盟
- 2007年1月11日:ベトナムがWTO(世界貿易機構)に加盟(150番目の加盟国)
- 2008年1月1日:ベトナムが国連安全保障理事会の非常任理事国になる。(2009年12月31日までの2年間)
- 2010年:ハノイ建都1000年記念